【ネタバレ小説批評】『ミスター・スペースシップ』フィリップ・K・ディック(その2)【ディック作品が読みやすい理由とは?】

フィリップ・K・ディック ミスタースペースシップ 批評 書評 レビュー 駄作 面白い



今日の名フレーズ

僕が頼めばいつも、妻は女の子を呼んでくれます、娼婦です。女の子たちはなかに僕の虫を入れると、うめき声を上げます。何人も何人もいました。ハハ。みんなここまで来て僕とファックするのです。ファックするのは気持ちがいいです。ヴァージニアが女の子たちにお金をあげて、みんな喜んで帰ります。あったりまえです。ハハ。可哀想なヴァージニア。彼女はファックが嫌いなのです。つまり、僕とファックするのが。ひょっとしたらほかの男とはファックするのかもしれません。誰にわかるでしょう? これについて僕は何も知りません。どちらでもいいことです。でももしあなたがヴァージニアに優しくしたら、ひょっとするとファックさせてくれるかもしれません。そうなれば僕は嬉しいです。あなたのために。ありがとうございます。

(『ガラスの街』ポール・オースター/訳:柴田元幸)

ミスター・スペースシップ

フィリップ・K・ディック ミスタースペースシップ 批評 書評 レビュー 駄作 面白い

原題:Mr.Spaceship (1953)

作者:フィリップ・K・ディックディックの紹介記事はこちら

訳:大森

所収:『トータル・リコール――ディック短編傑作選』(早川書房)

レビュー:80

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はじめに――『ミスター・スペースシップ』は本当に駄作なのか?

SF界の帝王フィリップ・K・ディック御大をして、訳者に「愛すべきバカSF」呼ばわりされてしまった本作『ミスター・スペースシップ』。もちろん訳者はディックを本気でディスっているわけではない。映画化もされるほどの優れた傑作SFを世に送り出すディックの実力を知っているからこそ、”まあ、こういう片手間に書いたような箸休め的なSFもいいよね”という微笑ましさから「愛すべきバカSF」と呼んだわけである。しかしわたしは、この「中学生のSFファンが考えたみたいな」本作品が大好きである。テーマはきちんと掲げられているし、毎度のことながら無駄な描写のない合理的な構成がバッチリ自分の性癖にマッチしているのだ。そこで本稿では、『ミスター・スペースシップ』が「愛すべきバカSF」と一笑に付して終わるような作品ではないことを論じていきたいと思う。批評という”レンズ”が結ぶ『ミスター・スペースシップ』の像は、訳者がみていたものとはずいぶん異なって浮かび上がってくるかもしれない。それが批評の面白さでもある。

あらすじ

人類は戦い続けていた。戦場は地上から宇宙へ。地球人と異星人。戦争が国境と種族を超えた”異星人間”の闘争となってから幾世紀が経っていた。そんな人類が現在対立している異星人は、知能を有する「生体兵器」(生きた機雷)を駆使して頑強な防衛ラインを築いている。「機械システム」で統御された人類の兵器より一枚も二枚も上手なので、とうてい太刀打ちできなかった。このまま膠着状態を打破できなければ、戦況は覆るかもしれない。そんな懸念を抱えた”地球保安局”のクレイマーは、敵の生体兵器に対抗するべく、とある提案をうちだした。それは、「人間の脳」をスペースシップに「搭載」するという驚くべき作戦だった。その提案は苦渋の末に受理されてプロジェクトが動き出すが、クレイマーは予想だにしない結果に驚きと戸惑いを隠せなかった。なんと脳を提供してくれる検体者が、かつての大学の恩師だったのだ……。

(1)プロットに分解して批評する――の続き

 

プロット③:恩師との再会

自分の非人道的なプロジェクトに大学時代の恩師が候補に挙がってしまった事実に戸惑いを隠せないクレイマー。しかし容赦なく”その時”は訪れた。クレイマーは同僚グロスと部下数人を引き連れて、恩師トマス教授の自宅を訪問する。突然の保安局の来訪。出迎えた教授の妻とおぼしき老婆は不穏な空気を察したようだったが、グロスは事務的な挨拶もそこそこに家の中へ足を踏み入れる。後に続くクレイマーがそこで見たものは、まるで枯れ木のようにベッドに横たわる恩師の姿だった。トマス教授は、ただ静かに死の訪れを待っていたのだ。”生きながらにして死んでいる”とはまさにこのことなのだろう。だが、トマス教授は教え子のクレイマーをしかと憶えていたし、ドロレスと結婚したことさえも記憶していた。そしてクレイマーは、保安局の公務としてここを訪れている手前、この皮肉な再会に感激している暇もなく、早速本題に入らなければならなかった。プロジェクトの概要を一通り説明すると、トマス教授はこの件に関わるかどうかは船の設計資料や論文を読みたいとのことで、いっさいの資料をクレイマーに求めるのだった。

「きみのほうは立派にやっているようだな。わたしが高く評価する人物の例に漏れず。きみは、この社会のトップに登りつめた」

プロット③の批評

毎度おなじみ「皮肉」な展開。このプロット③にもまた、物語が面白くなるスパイス(皮肉)が効いている。まずひとつは、恩師と教え子の懐かしい再会がこんな状況で叶ってしまったということ。クレイマー自身が提案した非人道的な計画。まさか自分が、「脳」を提供してもらうために自分の恩師に会いに行くことになるとは夢にも思わなかっただろう。しかもトマス教授は、著しく肉体的に衰えていながら、今でもクレイマーのことをハッキリと憶えていて、歳月を経てもやはり恩師は恩師のままだった。

もしも教授がベッドの上で耄碌(もうろく)した痴呆老人になっていたり、生死の区別が曖昧な状態で横たわっていたならば、クレイマーの罪悪感もいくらか軽減されたかもしれない。実際、トマス教授の自宅を訪れるとき、クレイマーはひそかに祈っていたかもしれない。”どうかトマス教授が[惜しくも]亡くなっていたり、なかんずく生きていたとしてもすでに意識がない状態でありますように”――と。だが作者ディックは、そのような展開を講じることはしなかった。少しでもクレイマーが”安心する”状況”不幸中の幸い”となる要素をあえて拒否したのだ。だからこそ、クレイマーの在り方が引き立つ。自分の計画した非人道的な作戦の犠牲者が、自分の恩師であるという事実が強調されるのである。クレイマーとトマス教授。この皮肉な出会いには、そんな演出上の意義を見出すことができよう。

またさらに、このプロット③には、もうひとつの皮肉も込められている。それは、トマス教授がクレイマーに放ったセリフ「きみのほうは立派にやっているようだな。わたしが高く評価する人物の例に漏れず。きみは、この社会のトップに登りつめた」だ。この言葉は、事実、クレイマーの心を揺さぶった。”地球保安局”というエリートとして働き、またエリートとして戦争勝利のための作戦を計画・実行するクレイマーは、まさしく「この社会のトップ」である。それゆえ彼は、「ひとりの生命を犠牲にすることで戦争に終止符を打てるなら、やってみる価値はある」とドロレスに言うことさえあった。

しかし、それがいまではどうだろう? ”脳を提供してほしい”と頼み込むために恩師の自宅を訪れることになってしまったクレイマーは、ひどく自責や後悔の念に苛められていた。「立派にやっているようだな」という教授の言葉が自分をみじめな気持ちにしさえするのだ。「立派にやっているようだな」――それは、”計画の無責任さ”や”他人事志向”のクレイマーへの、なによりの皮肉だったと言えるだろう。

クレイマーはトマス教授宅から戻る際、部下に自身の胸中をこのように吐露する。

「いつかは彼のような人間になりたいと、ずっと思っていたんだ。ところが、いまのこのぼくはこのざまだ」

「このざまって?」

「彼に頼んでいることを見ろ。命をよこせといってるんだぞ。恩師どころか人間でさえなく、ケージで飼われている実験動物みたいに」

プロット④:”ミスター・スペースシップ”のテスト飛行、そして”謎の仕様変更”

できるなら、教授にはこの無茶な提案を断ってほしい。クレイマーはそう願っていたが、なんとトマス教授は脳の提供を引き受けてしまった。思わぬ結果を伴っていよいよ「頭作戦(オペレーション・ヘッド)」が動き出した。気落ちするクレイマーをよそに、同僚グロスはプロジェクトの進行を祝福する。それから順調に事が運び、いよいよテスト飛行の段となる。クレイマーはパイロットとの会話のなかで、トマス教授の脳が搭載された”ミスター・スペースシップ”に、「理解できない仕様変更」があることを知る。その仕様変更とは、機械制御システムで十分対応していたはずの船内のさまざまな部分が、すべて「中央制御システム」に委ねられるようになっていたことだった。つまりそれは、トマス教授の脳が船内のシステムをすべて掌握していることを意味していた。

「グロス、だれが設計変更した?」とクレイマー。「配線の一部が変わっている」

「おまえの旧友だよ」グロスは窓越しに管制塔に合図を送った。

「おれの旧友?」

「教授さ。彼はきわめて積極的な関心を示してね」

そういえば、トマス教授はあのとき船の資料すべてに目を通していたはずだ。いったい何の目的で? そんな一縷の不安を残し、クレイマー一向を乗せた”ミスター・スペースシップ”はテスト飛行のため、いよいよテイクオフするのだった。

プロット④の批評

トマス教授に「頭作戦」の概要を説明してから、実際に彼が自分の脳の提供に賛同するまでの過程は、かなりスピーディである。恩師との再会シーンは6ページ弱、それからクレイマーがトマス教授の返答を知るシーンは、わずか10行程度に収められている。つまり、全7ページ弱の分量「トマス教授との再会→脳の提供OK」という展開が詰め込まれているのだ。これに対して、「展開が早すぎる」という意見の向きもあるかもしれない。他の作家なら、トマス教授宅のシーンのあと、もっとクレイマーの心情を掘り下げるところにページを割いたり、人によってはトマス教授の視点で描いたりするかもしれない。

だが、”せっかち”なわたしからすれば「余計な描写がなくてじつによろしい」と評したいところだ。そもそも、クレイマーの心境はすでによく描かれているように思う。同僚グロス・部下・トマス教授とのクレイマーのセリフのやりとりに、彼の胸中がうまく表されている。彼らの会話には、読者がクレイマーの内面を知るために必要な情報がたっぷり詰まっている。だったら、それで十分ではないか。「もう少し小説っぽくディープに掘り下げたい」という野心のためにストーリーのテンポを削ぐくらいなら、さっさと「本題」に入ってしまったほうがいいのである。そして実際、フィリップ・K・ディックの手掛けた多くの作品からは、「物語の進行に本当に必要な部分しか描かない」という意図を伺うことができる。こうした彼の「合理的なストーリー構成」は、わたしがディック作品を愛好する理由のひとつになっている。

 

(その3に続く……)



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石山 広尚(いしやま ひろなお) 1991年うまれ。 札幌在住のライター。 一時期は社会学の研究者を志していたが、ひょんなことから友人と同人誌をつくることになり、それがきっかけで「創作」の世界にどっぷりハマる。小説サークルを主宰し、「批評」の重要性を痛感する。 ・大学院時代の専門:思想史と社会学 ・好きな作家:H.G.ウェルズ、オー・ヘンリー、ポール・ギャリコ、スティーブン・キング ・好きな映画:ゴッドファーザー、第三の男、ターミネーター2