【ネタバレ小説批評】『ミスター・スペースシップ』フィリップ・K・ディック(その1)【本当に駄作なのか?】

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今日の名フレーズ

世界は長年にわたり戦い続けてきた。最初は人間同士で、それから火星人と、そのあとはプロキシマ・ケンタウリの生命体と。われわれは敵のことをなにひとつ知らない。人間社会は、戦争を文化的な制度として発展させてきた。天文学や数学のように。戦争は、われわれの生活の一部になっている。戦争に貢献することは、キャリアであり、尊敬すべき職業だ。聡明で機敏な若い男女は、ネブカドザネル王の時代と変わらず、戦争に身を投じ、汗を流す。昔からずっとそうだ。

(『ミスター・スペースシップ』フィリップ・K・ディック/所収『トータル・リコール――ディック短編傑作選』/訳:大森 望)

ミスター・スペースシップ

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原題:Mr.Spaceship (1953)

作者:フィリップ・K・ディックディックの紹介記事はこちら

訳:大森

所収:『トータル・リコール――ディック短編傑作選』(早川書房)

レビュー:80

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はじめに――『ミスター・スペースシップ』は本当に駄作なのか?

SF界の帝王フィリップ・K・ディック御大をして、訳者に「愛すべきバカSF」呼ばわりされてしまった本作『ミスター・スペースシップ』。もちろん訳者はディックを本気でディスっているわけではない。映画化もされるほどの優れた傑作SFを世に送り出すディックの実力を知っているからこそ、”まあ、こういう片手間に書いたような箸休め的なSFもいいよね”という微笑ましさから「愛すべきバカSF」と呼んだわけである。しかしわたしは、この「中学生のSFファンが考えたみたいな」本作品が大好きである。テーマはきちんと掲げられているし、毎度のことながら無駄な描写のない合理的な構成がバッチリ自分の性癖にマッチしているのだ。そこで本稿では、『ミスター・スペースシップ』が「愛すべきバカSF」と一笑に付して終わるような作品ではないことを論じていきたいと思う。批評という”レンズ”が結ぶ『ミスター・スペースシップ』の像は、訳者がみていたものとはずいぶん異なって浮かび上がってくるかもしれない。それが批評の面白さでもある。

あらすじ

人類は戦い続けていた。戦場は地上から宇宙へ。地球人と異星人。戦争が国境と種族を超えた”異星人間”の闘争となってから幾世紀が経っていた。そんな人類が現在対立している異星人は、知能を有する「生体兵器」(生きた機雷)を駆使して頑強な防衛ラインを築いている。「機械システム」で統御された人類の兵器より一枚も二枚も上手なので、とうてい太刀打ちできなかった。このまま膠着状態を打破できなければ、戦況は覆るかもしれない。そんな懸念を抱えた”地球保安局”のクレイマーは、敵の生体兵器に対抗するべく、とある提案をうちだした。それは、「人間の脳」をスペースシップに「搭載」するという驚くべき作戦だった。その提案は苦渋の末に受理されてプロジェクトが動き出すが、クレイマーは予想だにしない結果に驚きと戸惑いを隠せなかった。なんと脳を提供してくれる検体者が、かつての大学の恩師だったのだ……。

(1)プロットに分解して批評する

 

プロット①:状況説明

主人公のクレイマーたちが技術者の会議で、敵対している異星人「ヤク」との戦況が芳しくないことを話している。ヤク人は、知能を有する「生体兵器」で人類の機械システムで制御された兵器を翻弄している。知能のカケラもない無味乾燥な機械システムでは、有機的・複合的・応用的で高度な判断を下す生体兵器には到底太刀打ちできず、戦いは膠着状態に。この現状を打破しようと、クレイマーは”知能には知能をぶつける”という発想の下、「人間の脳」をスペースシップに搭載する作戦を思いつく。

部屋の中に沈黙が降りた。

「驚くべきアイデアだな」ややあって、グロスがゆっくりといった。いかつい顔が歪む。「しかし、百歩譲って、それがうまくいくと仮定しても、だれの脳を使うかという大問題が残るぞ」

プロット①の批評

冒頭にこれといって工夫はなく、「目を引く」ような演出は施されていない。だが、無駄な前置はなく、一行目からさっそく「本題」に入っているのが特筆すべき点だろう。「さっさと本題に入りやがれ!」の精神に非常に忠実である。状況説明は正味4ページ弱で終わる。主人公のクレイマーと同僚のグロスとの会話の中で、読者は現在置かれている状況を理解できる。知能を有する「生体兵器」と、プログラム制御された人類の「機械システム兵器」。この対比が際立てられ、最後には「人間の脳こそがもっとも頭のいいシステムだ」というクレイマーの提案が非常にユーモラス。今日ではすっかり手垢のついたアイデアかもしれないが、1953年の作品という事実はディックの深い知見を伺わせてくれる。皮肉にも、「人間の脳」と「人工知能」に関心が強くなっている現代だからこそ、ディックの「人間の脳を機械に搭載する」という発想は色あせるどころか深刻なニュアンスさえ帯びているとさえ言えるだろう。

 

プロット②:「頭作戦(Operation-Head)」始動

クレイマーの提案は受理され、プロジェクトが動き出した。作戦名は「頭作戦(オペレーション・ヘッド)」。あるときクレイマーは、自分と同じく「地球保安局」に所属する別居中の妻・ドロレスと再会する。それは皮肉な再会だった。なんと彼女もまた、クレイマーが指揮をとる本作戦に参加するというのだ。居心地の悪さを覚えながらも、クレイマーは「頭作戦」の概略説明と打ち合わせを彼女と同僚グロスとおこなう。現状の課題は「脳」を提供してくれる検体者。敵の生体兵器の防衛網を突破するだけの高い知能を有し、我が身を犠牲にするほどの献身さがなければならない。このあまりに困難な両命題を満たす検体者など、はたして見つかるのだろうか? 当面の課題はそこだった。クレイマーたち技術者は頭を抱えるが、ドロレスは、検体者の候補に「トマス教授」の名を挙げるのだった。そのトマス教授とは、ドロレスとクレイマーの大学時代の恩師だった。

「その案はどうも気が進まないな」クレイマーの心に、過去の映像が浮かんでいた。デスクのうしろに腰を下ろし、穏やかで知性的な視線で講義中の中を見まわしている老人。前に身を乗り出し、細い片手を上げる――

「彼を巻き込むな」とクレイマーはいった。

「なにが悪い?」グロスが好奇の目を向けた。

「あたしが提案したからよ」とドロレス。

「そうじゃない」クレイマーは首を振った。「こんなことは予想外だった。自分の知り合い、それも恩師の名前が候補に挙がるなんて。彼のことははっきり覚えている。とても個性的な人だった」

「よし。話を聞くかぎり、うってつけの人物のようだな」とグロス。

「かんべんしてくれ。命をよこせっていう話だぞ」

「いまは戦争中だ。戦争は、個人的な感情など考慮しない。自分でそういったじゃないか。もちろん、彼は志願するさ。それが前提になる」

プロット②の批評

プロット②には、2つの皮肉が仕込まれている。ひとつは、別居中の妻ドロレスとの再会。”まさかこんなところで会うなんて”とクレイマーは困惑するわけだが、はたしてこの演出は何を意味するのだろうか? このドロレスという女性は、物語の結末と深く関わっているので、このプロット②のタイミングで舞台の上に出したのは間違いない。しかも、「現在は仲が悪い」というのもキーポイントになっている。それゆえ、物語のラストを視座に入れて「ドロレス」の役割と意義を記述するなら、文字通り「ラストのオチに必要だから」と素直に結論できるだろう。

だが、そこからもう一歩すすめて、さらに深くドロレスとクレイマーの出会いをメタ視点で分析することも可能だ。作者ディックが意図したにせよそうでないにせよ、ひとつ言えるのは、主人公クレイマーが「会いたくなかった人と再会する」演出には、「物事はそう上手くいかない」ということを示唆する機能的側面である。これからプロジェクト(「頭作戦」)が始動するにあたり、クレイマーはできるだけ「順風満帆」に事が運べばいいと願っているはずだ。しかし、現実はそうならなかった。まさか自分の主導するプロジェクトに、別居中の妻が参加するとは夢にも思うまい。まさに”出鼻をくじかれた”わけである。

物語には、漫画、アニメ、映画、小説を問わず、「不吉」や「嫌なこと」を象徴するキーワードがたくさんある。「犬の遠吠え」「埃とカビの臭いがする部屋」「湿ったシーツ」「雨」「割れた皿」……「別居中の妻」もまた、物事の行く末にネガティブな予感を暗に示す言葉である。クレイマーは、別居中の妻と思ってもいない(そして、願ってもいない)再会を果たしてしまう。この場面を見せられた読者は、なかば本能的に「なんだか、よくないことが起こりそうな気がする」という印象を植え付けられるものなのだ。この「頭作戦」には、いったいどんな展開が待ち受けているのだろうか? 読者は続きが気にならずにはいられなくなる。続きが気になるから、われわれはページをめくる。そして気づけば、読者は作者ディックの用意した”レール”にまんまと導かれてしまうわけだ。

人間とは不思議なもので、「楽しそうな出来事」よりも「不幸になりそうな出来事」のほうに関心が強くなる傾向がある。これは、読者の関心を引きつけるのに役立つ興味深い性質であるから、利用しない手はない。未来を暗示する不穏なキーワードや展開を忍ばせておくのは大切な技術だ。もしもこのプロット②でクレイマーがドロレスではなくて「非の打ち所のない独身美女」を部下に引き入れたのならば、実際かなり印象が違っていたはずである。「っていうか、このキャラクターいる?」という疑問すら浮かんだかもしれない。事実、そんな展開はまったく意味性のないシーンとなるだろうし、プロットを練っている段階で削除しても何ら不都合はない。そんな薄っぺらいキャラクターは、プロットの第一稿の時点でお役御免である。「すまない、そんな美女は初めから存在しなかったことにしてくれ」というわけである。ただし、『007』に登場する美女には、ジェームズ・ボンドのキャラクター性を固定して強調する役割と意義がある。ボンドには美女が必要なのだ。それは、観客と作り手との”お約束”である。

さて、やや話が逸れてしまったが、このプロット②に仕込まれているもうひとつの皮肉についても論じていこう。ひとつめの皮肉は、「会いたくなかった人との再会」であった。では、もうひとつの皮肉とは? もうおわかりだろう。言葉で表すなら、こうだ。「自分の考案した非人道的なプロジェクトに、知人が犠牲となってしまった」これ以上ない皮肉である。この展開は、主人公クレイマーの「悲哀」と「人間味」を強調してくれる。悲哀というのは、もちろん恩師であるトマス教授が「脳」の提供者として候補に挙がってしまったということだ。まさに、「こんなはずではなかった……である。最高の皮肉がスパイスとして効いている。他人の不幸は蜜の味である。ここで続きを読むのをやめてしまうとしたら、いったいその人はどうやって物語を楽しんでいるというのだろうか?少なくともわたしには想像がつかない。

ではその一方で、クレイマーの「人間味」とはいったい何なのだろうか? それは「計画に対する無責任さ」である。クレイマーは、宇宙保安局のエンジニアだ。彼の仕事は、対立する忌々しい異星人「ヤク」との戦争に勝利する兵器や計画を講じることだ。いつの時代も、戦争の目的は「勝利」である。「勝利」のためなら、ときには手段を辞さないこともある。「ルール」を設けつつも、こっそりと「ルール」を破る。人類は戦争を遂行するために常々「トロイの木馬」を求めてきた。そして計画の実行者たちは、当事者でありながら、どこか他人事のようなふるまいをする。どういうわけかアイデアだけが独り歩きして、そのアイデアが”何を意味するのか”という深刻な問いに向き合えなくなってしまうのだ。

ユダヤ人の収容所を「効率よく運営」することだけに専心したアドルフ・アイヒマン、キューブリック『博士の異常な愛情』のモデルにもなった原爆開発者フォン・ノイマン博士、ナパーム弾を開発したハーバード大学の教授、エトセトラ、エトセトラ……。彼らは、自分の行っていることをで理解しながらも、その実、で理解できなかった。それを「愚かだ」と言い捨てることは簡単だ。小学生にでもできるだろう。だが、現実はそう甘くはない。その行為が愚かだとわかっていながらも、実際にそれをやってのける人間がいるから厄介なのだ。社会学者マックス・ウェーバー「組織は人間を部品にする」と喝破したが、いまなら「組織は人間をアドルフ・アイヒマンにする」とも換言できる。しかしこうした残酷な側面もまた、まごうことく人間らしさの一面なのである。その意味で、「人間の脳をスペースシップに搭載すれば最強のシステムができる」と考えたクレイマーは、大学の恩師が検体者の候補に選出されたとき、自分のアイデアの恐ろしさを身をもって知ることになったわけである。自分のしてきたことが、まさしくクレイマー自身に返ってきているわけだ。

大学の恩師が検体者に推薦されて当惑するクレイマーをよそに、同僚のグロスが「いまは戦争中だ。戦争は、個人的な感情など考慮しない。自分でそういったじゃないか」と言ったのはこれまた皮肉である。これは、プロット②における3つめの皮肉とも言えるだろう。

 

(その2に続く……



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石山 広尚(いしやま ひろなお) 1991年うまれ。 札幌在住のライター。 一時期は社会学の研究者を志していたが、ひょんなことから友人と同人誌をつくることになり、それがきっかけで「創作」の世界にどっぷりハマる。小説サークルを主宰し、「批評」の重要性を痛感する。 ・大学院時代の専門:思想史と社会学 ・好きな作家:H.G.ウェルズ、オー・ヘンリー、ポール・ギャリコ、スティーブン・キング ・好きな映画:ゴッドファーザー、第三の男、ターミネーター2