【ネタバレ漫画批評】『トーキョー忍スクワッド』第6話【シーンの意味と機能に関する一考察】

トーキョー忍スクワッド 最新話 ネタバレ 感想 第6話 批評 レビュー 評価 面白い 面白くない パピヨン 鳴海仁 依頼



今日の名フレーズ

いいかい、言っておくけど、名監督はみんな引用ができるんだ。スピルバーグ監督やスコセッシ監督がいい例だろう。彼らは映画について語るとき、何百本という作品からさまざまな引用をする。引用と言っても、「セリフがそっくりそのまま言える」ってことじゃない。「その映画がどう機能しているか、その仕組みを説明できる」ってことだ。

(『SAVE THE CATの法則』ブレイク・スナイダー/訳:菊池淳子)

第6話「パピヨン」

トーキョー忍スクワッド 最新話 ネタバレ 感想 第6話 批評 レビュー 評価 面白い 面白くない パピヨン

レビュー:50

原作:田中 勇輝

漫画:松浦 健人

所収:週刊少年ジャンプ/2019/第32

『トーキョー忍スクワッド』ネタバレ漫画批評まとめ

第6話のポイント

 

・今回は、お色気担当(?)枠のパピヨン鳴海仁のコンビで描かれるエピソード。

・依頼は、ショーモデルの女の子を暗殺から守る警護ミッション

 

・パピヨンは、「鳴海會」のリーダーである鳴海仁に、この任務をぜひとも引き受けたいと力説する。

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・なるほど。目標に向かって突き進む人をみれば、誰だって応援したくなるものだ。

・ご多分にもれず、パピヨンもまた、元モデルということもあり、暗殺を目論まれている「マキ・ミズノ」の護衛を引き受けたいと考えている。

 

・そういう事情から、鳴海仁も快く承諾

・晴れて「マキ・ミズノ」の護衛がはじまる。

 

・こうしてみると、いたってふつうの、もっともらしい展開のように思える。

・だが、どうしても気になって仕方がない点がある。

・それは、パピヨンの言い分である。

 

・彼女は、「うちは自分の目標の為に献身を示し続ける子が大好き」という理由で鳴海仁に依頼の承諾をすすめたわけだが、そもそもの話、今回の依頼内容は、「暗殺」という命に関わる一大事である。

・人命がかかっている依頼の話に、「うちは自分の目標の為に献身を示し続ける子が大好き」というパピヨンの私的な見解を持ち出すのは、なんだかおかしな話ではないだろうか?

・自分がもし依頼主の芸能プロダクションの社長なら、そのパピヨンの発言を聞いて「いや、そういうことじゃないだろ。もしもうちのモデルが性格が悪くていけ好かないヤツだったら、おまえらは見捨てるつもりなのか?」と思ってしまうだろう。

 

・では、どうしてこのような不可解な発言をパピヨンにさせてしまったのだろうか?

・その理由のひとつとして考えられるのは、「主人公たちが依頼を引き受けることに対して、いちいち”もっともらしい理由付け”をしようとしている」ことが挙げられる。

 

・この「鳴海會」というチーム(スクワッド)は、「仁義」だとか「正義感」を強調して描こうとしている。それらが、他の有象無象のニンジャ連中とを線引きする特色なのだ。

・だから、「鳴海會」が任務を引き受けるからには、そこに鳴海仁たちが「納得」する理由がなければならない――そうした作者側の考えが、今回のようなパピヨンの発言につながったのだろう。

 

・「鳴海會」の特色(仁義とか仲間意識とか正義感)を強調しようとすること自体は、なにもおかしなことではない。

・しかし、そうしたキャラクターの方向性が、この物語のベースとなっている「裏切り・殺し・金」のような「泥くさくて血なまぐさい世界観」と、しばしばミスマッチを引き起こしてしまうこともある。

 

・ではどうすればよかったのか?

・演出として考えられる方法のひとつに、「依頼を受けるシーンをすべてカットして、さっさと本題に入る」がある。

 

・名作『シティーハンター』などを含め、「依頼を受けて仕事をする」王道の展開が構造化された往年の作品では、しばしばこうした演出が採用されている。

・なぜ依頼シーンがカットされるのかといえば、基本的に「依頼シーン」が退屈で無駄だからである。

・だからカットするのだ。物語は、わざわざご丁寧に「時間軸」に沿って順序だてて描く必要はないのだから。

 

・極論を言えば、「主人公たちがその依頼を受けている」という「事実」さえ観客に伝われば十分なのである。

・つまり、今回のエピソードでいえば、鳴海仁とパピヨンが「マキ・ミズノ」の護衛任務に着任しているということさえ端的に描けば、必然的に「鳴海會が引き受けると判断した」という背景もおのずと理解できる。

・わざわざ依頼シーンを本編で描かずとも、その依頼が成立した背景を「想像」で補うだけで十分なのだ。

 

・依頼シーンをわざわざ描くときは、たいていの場合、描かざるをえない特殊なシチュエーションが存在する場合である。

・たとえば、「年端もいかない子供が、「殺してほしいやつがいる」と鬼気迫った表情で主人公に依頼する」となれば、誰だってその状況についてもう少し詳しく知りたいと思うだろう。だからそのシーンは、遠慮なく描くべきなのである。

・あるいはまた、「大富豪の娘が、父親にかまってほしくて誘拐予告を自演した」というエピソードを描く場合にも、やはり依頼シーンは必須である。なぜなら、その依頼シーンで、「この誘拐予告には不自然な点がある」ということをほのめかして「伏線」として仕立てる必要があるからだ。

 

・仮に、どうしてもパピヨンと鳴海仁が「マキ・ミズノ」護衛の依頼を引き受けるシーンを描きたいのであれば、その場合は、「暗殺から要人を守る」という仕事を「引き受けるか否か」の二択が並立するような状況を用意しなければならない。

・しかし、正義感にあふれる「鳴海會」が、このようなケースで「引き受けない」ことは果たしてあるのだろうか?

放っておけば相手の命がないとわかっていてもなお、その依頼を断る理由など、ふつうの感覚で考えても、おそらく、「ない」とわかる。

 

・であるならば、やはり、今回の第6話で展開された依頼シーンの演出には、歪(ひずみ)があったと言わざるを得ない。

・このシーンをカットして、さっさと「南雲氷彗(なぐもひょうすい)」のくだりに入っておけばよかったのである。

 

・とまあこのように、「依頼シーン」に限らず、あらゆる物語のシーンは、「そのシーンは描く必要があるのか?」という機能的な側面を意識しなければならない。

・物語とは、ひとつの「時計」みたいなものだ。

・「時計」という機械を構成しているパーツは、なにひとつとして無駄なものはない

・物語もまた、無駄がなく、物語を動かすための「シーン」が組み合わさって成立している。

 

・むろん、ジョークやサービスシーンといった、物語の本筋にはあまり深く関わっていないような”パーツ”もあるだろう。

・だがそれらは、時計の「装飾」のようなものであり、物語の機能性を損なうことなく、それでいて見る者を楽しませてくれる、「必要な無駄」なのである。

 

・「無駄のないシーン」を描くには、漫画だけ読んでいてもなかなか身につかない。

・往年の漫画家の多くは、若手時代、「映画」から漫画の演出を学んでいる。

ジョジョの荒木飛呂彦氏しかり、幽白やハンターハンターの富樫義博氏しかり、みんな映画から学んでいるのだ。

・富樫氏にいたっては、一本の映画を漫画で”模写”したことがあるという。

 

・映画は、「場面(シーン)」の「機能」や「意味」を徹底して研究することでつくりあげられる作品だ。

・それだけ「演出」に学ぶことは多いのである。

 

(第6話に続く……)



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石山 広尚(いしやま ひろなお) 1991年うまれ。 札幌在住のライター。 一時期は社会学の研究者を志していたが、ひょんなことから友人と同人誌をつくることになり、それがきっかけで「創作」の世界にどっぷりハマる。小説サークルを主宰し、「批評」の重要性を痛感する。 ・大学院時代の専門:思想史と社会学 ・好きな作家:H.G.ウェルズ、オー・ヘンリー、ポール・ギャリコ、スティーブン・キング ・好きな映画:ゴッドファーザー、第三の男、ターミネーター2