【書評】『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』その12【アンドロイドが「夢を見る」のは電気羊ではなく人間?(前編)】



 

原題:Do Androids Dream of Electric Sheep? (1968)

フィリップ・K・ディック

訳:浅倉 久志

早川書房(1977)

オススメ度:90点

 

【同作品バックナンバー】

その1【人間の常識を根底から突き崩す】

その2【屈指の名冒頭シーン!何気ない会話で世界観を伝える!】

その3【「職業」は主人公を物語る】

その4【「願望」はどこから生じるのか?】

その5【テーマを引き立たせるキャラクター(前編)】

その6【テーマを引き立たせるキャラクター(中編)】

その7【テーマを引き立たせるキャラクター(後編)】

その8【主人公を迷わせる「トリック・スター」】

その9【世界観(イデオロギー)がひっくり返るとき】

その10【主人公の未来を暗示するキャラクター】

その11【逃れられぬ運命】

 

今回のテーマは、「人間に憧れるアンドロイド」

 

主人を殺し、人間に扮して社会生活を送る違法アンドロイドたち。

彼らの目的はいったい何なのか? レイチェル・ローゼンを通じて、わたしたち読者は、いよいよその真相の核心に迫っていきます。

 

知能の優れたアンドロイド(ネクサス6型)たちは、賢すぎるあまりに、自分たちと人間との違いについて考えるようになります。

そうです。つまり彼らもまた、「アンドロイドと人間の境界」について関心をもっていたのです。

 

ここで興味深いのは、

人間がアンドロイドとの線引きを試みるその一方で

アンドロイドたちはむしろ人間そのものになろうとしているところです。

 

だからアンドロイドたちは、人間以上に「人間とはなにか」について考えていたのです。

ところが、そううまくはいかない。

一部のアンドロイドたちは、「人間の模倣」では獲得できない「人間らしさ」があることに気がつきはじめていたのでした。

 

それは、人工物たるアンドロイドの悲劇

カレル・チャペックの『ロボット』にどこか似た悲哀があります。

 

 

オモシロポイント⑬悲しき情婦、レイチェル・ローゼン

 

その1. レイチェル・ローゼンの目的

 

さて、リック・デッカードはバウンティ・ハンターの仕事を続けるため、ついにレイチェル・ローゼンを抱くことになりました。

けっきょくリックは、あの冷酷なフィル・レッシュのように、アンドロイドを相手にセックスをして情欲を発散させ、「感情移入」を完結させるしか術がなかったわけです。

一方でレイチェル自身、リックが自分を抱きに来るだろうことはすでにわかっていました

というのも、これまで彼女は、幾度となくバウンティ・ハンターを誘惑してきたからです。

 

じつはレイチェルは、高知能の脳ユニット「ネクサス6型」を開発するローゼン協会が仕組んだハニートラップだったのです。

なぜそんなことを? 理由は簡単。アンドロイドとセックスすることで、アンドロイドを殺せなくするためです。

そしてバウンティ・ハンターとの接触を通じて感情データを収集し、さらなるハイスペックな脳ユニット開発にフィードバックさせていく

 

ローゼン協会の野望は、人間と区別がつかなくなる究極のアンドロイドをつくることだったのです。

 

「どのバウンティ・ハンターもそうだったわ」レイチェルがいった。「わたしと寝たあとでは。ただひとりを除いてね。ひどくシニカルな男。フィル・レッシュ。それに彼、頭がおかしいのよ。自分ひとりで外野を守ってるつもり」

 

自分と寝ることで廃業させたバウンティ・ハンターはいたが、あのフィル・レッシュにだけはその手は通用しなかった。レイチェルはそう告白します。

レイチェルとセックスをしたあと、リックはそこでようやく、フィル・レッシュという男を理解した気になりました。「セックスしたあとにアンドロイドを殺せばいい」というあの言葉の意味を。

「なぜフィル・レッシュがあんなことをいったか、いまやっと、おれは納得できた。やつは、べつにシニカルなんじゃない。ただ、あんまり多くのことを経験しすぎただけなんだ。こういう目にあわされては――おれだってむりもないと思う。これがやつをねじ曲げたんだ」

 

「あなたはわたしを軽蔑しているのね。わたしがやったことで」

レイチェルは言います。

「あなたもほかの男たちとおなじ道をたどったわ。ほかのバウンティ・ハンターたちと。いつのときも、彼らはカンカンになって、わたしを殺してやるといきまいたけれど、いざとなると殺せないのよ。ちょうど、いまのあなたおなじように」タバコに火をつけ、うまそうに煙を吸い込んだ。「これがなにを意味するかは、むろんわかるわよね? つまり、わたしが正しかったのよ。あなたにはもうアンドロイドが殺せない」

 

山羊(ヤギ)のいるおうちへ帰りなさい、とあざわらうレイチェル。

リックは無言でしたが、いまの自分は、これから残りのアンドロイドを始末できるだろうという確信が芽生え始めていました。あのフィル・レッシュがそうであったように。

 

「あなたはわたしよりもその山羊を愛しているのね。たぶん、奥さんより以上に。一が山羊、二が奥さんで、そのつぎが――」げらげら笑いだした。「これが笑わずにいられる?」

 

セックスを終え、レイチェル・ローゼンを求める激しい衝動がすっかり消え失せたリックは、途方もない虚しさに襲われます。

その理由のひとつは、アンドロイドにもてあそばれる屈辱を身をもって知り、憎きフィル・レッシュへの同情心が生まれたこと。

そしてまたひとつは、情婦レイチェル・ローゼンへの哀れみでした。

 

 

その2. 人間に嫉妬するレイチェル?

 

レイチェル・ローゼンは、突き詰めると、バウンティ・ハンターを篭絡するためだけに存在しています。

しかし不思議なもので、彼女の言動には、アンドロイドらしい無機質さよりも、なにか執念じみたものを感じさせられます。

 

じつはそこには、彼女なりの理由がありました。

レイチェルは人間に「嫉妬」していたのです。

Envy

 

「アンドロイドは子供を生めないわ。それは損失なのかしら?」

 

リックと寝る直前、とつぜんレイチェルはこう問いかけます。

 

「損失なのかしら?」とレイチェルはくりかえした。「わたしにはわからない。わかりようがない。子供を生むのはどんな気持ちのもの? そういえば、生まれてくるのはどんな気持ちのもの? わたしたちは生まれもしない。成長もしない。病気や老衰で死なずに、蟻のように体をすりへらしていくだけ」

 

そして昂ったレイチェルは大声でどなりました。

「わたしは生きていない!」

 

 

人間を謀(たばか)り、社会に紛れようとするアンドロイドたち。

彼らはなにを目論んでいたのか? どうして主人を殺してまで人間社会に溶け込もうとしたのか?

 

「もし、人間とおなじ思考や衝動をわたしが持っていたら、どんなふうに行動するか――それをなぞっていたわ」

かつてルーバ・ラフトは、そんなことをリックに言いました。

 

高知能ユニット「ネクサス6型」。

これを搭載したアンドロイドたちは、あまりにも賢すぎたために、ついには人間存在に興味を抱いてしまったのかもしれません。

知能の面ではふつうの人間よりもずっと優れている彼らだからこそ、人間のもつ「人間らしさ」にある種のコンプレックスをもったわけです。

 

ルーバ・ラフトは、「人間らしさ」を「文化」に見出そうとしたのかもしれません。わざわざ古典オペラ歌手として人間社会に紛れたわけですから。

一方でレイチェル・ローゼンは、たび重なる人間とのセックスを経て、「生命をうみだす」という行為のなかに人間への劣等感を芽生えさせてしまった

さらに悲しいことにレイチェルは、技術的問題から細胞再生ができないために、のこりわずか余命二年

 

生きていないのに、死んでいく……。

レイチェルはこの矛盾に耐えられなくなってしまったのでしょう。だからこそ、自分と寝た男たちを憎み、あざ笑う。

つまりレイチェルは、「生命をうみだす」行為の根源である「情欲」を冒とくすることで、人間から優位に立とうと強がってみせるのです。

 

 

「わたしは生きていない!」

きっとレイチェルは、他のバウンティ・ハンターと寝るたびに、そう思っていたのかもしれません。

 

セックスとはまさに「生」そのものを象徴する行為

にもかかわらずレイチェルは「生」の対岸にいる存在

 

この皮肉、この悲劇。

哀れな情婦レイチェル・ローゼン。

 

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は、ありとあらゆる登場人物たちが、どこかねじまがっている

しかしその歪みが、読者になにかしらの「哲学的な問い」を突き付けます。読み込めば読み込むほど、知的興奮が尽きない物語が終盤に近付くほど、面白い

ほんとうにすばらしい作品です。

 

 

まとめ

 

・物語はTwist&Shoutである

・運命に翻弄される登場人物たちの思いはねじれ、その痛みに彼らは叫びをあげる

・物語には「敵」が必要である

・そして「敵」には目的と理由がある

・目的と理由は物語のテーマにふさわしくなければならない

 

(その13へ続く……)

 

 



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石山 広尚(いしやま ひろなお) 1991年うまれ。 札幌在住のライター。 一時期は社会学の研究者を志していたが、ひょんなことから友人と同人誌をつくることになり、それがきっかけで「創作」の世界にどっぷりハマる。小説サークルを主宰し、「批評」の重要性を痛感する。 ・大学院時代の専門:思想史と社会学 ・好きな作家:H.G.ウェルズ、オー・ヘンリー、ポール・ギャリコ、スティーブン・キング ・好きな映画:ゴッドファーザー、第三の男、ターミネーター2