非常識が常識に変わるとき~文化史から学ぶ~



〇【ネット文化】がマイナーだった時代

 

唐突ですが、タイムスリップしてみましょう。

 

いまからほんの十年前。

2007~8年頃。

 

さかのぼれば、昔と現在(いま)では、

ずいぶんと【ネットの文化】が様変わりしました。

 

そして、

ネット文化とともに、

わたしたちの価値観も変わっていきました。

 

ためしに当時のネット文化やネットにおける価値観を書き出してみましょう。

(これらはわたし個人の主観がかなり強いのであしからず)

 

・「ネットサーフィンする」こと自体に、他人と差別化できるほどの独自性があり、「趣味はネットサーフィン」と言えるくらいだった。

 

・ネットサーフィンの楽しみのひとつには、【面白い個人サイト探し】があった。

 

・「パソコン=Yahooで調べものをする機械」という認識がまだまだ普通だった。それゆえ家庭の普及率も高くなかった。

 →パソコンのない多くの学生たちが、大学のぼったくりパソコンを買わされる犠牲者になっていた(今ではどうなんでしょう?)

 

・「ググる」という言葉が表世界では通用しなかった

 →気になったらググるという発想が根付いていなかった。

 

・調べ学習のとき、クラスメイトたちが「wikipediaってなんかわからないけどなんでも書いてある!すげー!」と驚いていた。

 

・You Tubeを知っている人はかなり限られていた→HIKAKINさんはこの時期にアカウントを作ったのだから、やはりすごいですよね。

 

・そもそも【動画サイト】というジャンル自体がマイナー→動画よりも【Flash】のほうが認知度が高かった。

 

・【2ちゃんねる】や【ニコニコ動画】は、表世界でけっして口に出してはいけないワードだった。

・ネットで【顔出し】行為は自殺に等しいという見解があった。

 

・iPhoneはAppleオタクの自己満足ガジェットというレッテルがあった。

 

いかがでしょうか?

このなかに、みなさんが「ああ~そういえばそんな時代だったかも」なんて共感してくれる部分、あったでしょうか?

 

こうして過去の【ネット文化】や【ネットに対する価値観】をみてみると、

今日とはまったく様相が違うのを痛感できますね。

わたし自身、まさかこんな時代になるとは想像だにしていませんでした。

 

かつて【ネット文化】はマイノリティ(少数派)でした。

人目にかくれ、こっそりと楽しむという考え方があったくらいです。

 

しかし、スマートフォンの普及が急激に進んだこともあり、

【ネット文化】がマジョリティ(多数派)を形成し、

ネットが身近にある生活がすっかり当たり前になってしまいました。

 

わたしはいま、【顔出し】でブログやTwitterをやっています。

そんなことを平然とできてしまう自分自身に驚いています。

これは天と地がひっくり返るくらいの変化です。

 

もちろん、ネットの【顔出し】にいまでも抵抗のある方はおられると思いますが、

それでも、全体としてみれば【顔出し】は普通のことになりつつあります。

 

ほんとう、時代は変わってゆくものですね~。

興味深いのは、

世の中や価値観の変化が自分の想像をこえているということです。

 

しかも、

現在(いま)の自分が、すでに以前の自分の価値観を理解できなくなってすらいます。

 

わたしの場合、iPhoneがその典型です。

 

正直に告白すると、

【iPhone=Apple信者の自己満足ガジェット】と思っていたわたしは、

当時iPhone3Gを所有していた友人を、好奇な目でみていました。

 

しかし、です。

気付けばわたしは、

iPhone4を手に持っていました。

 

その理由を、なぜか思い出すことができません。

 

iPhoneを小馬鹿にしていた自分が、iPhoneを購入するまでの過程。

なんとその記憶がすっぽりと抜けているのです!

 

わたしはエイリアンにアブダクションされたのでしょうか……?

 

いまではもう、スマートフォンなしでは生活ができなくなってしまいました。

当時の自分には考えられなかったことです。

過去と現在で、自分自身を構成している価値観がまったく違うのですから、仕方ありませんね。

 

とまあ、このように、

じつに局所的ではありますが、

いまみたような十年前の【ネット文化】を辿ることは、

じつは立派な文化史なのです。

 

なかなか、面白いとは思いませんか?

 

 

〇価値観の変容を楽しむ

 

【ネット文化】にとどまらず、

【文化】と【価値観】の変化の関係は、

いつどの時代でも、普遍的にみられる社会現象です。

 

たとえば小説

いまやすっかり市民権を得ていますが、

100年前までは、国を問わず

「小説なんて読んでいたら馬鹿になる」

という風潮がまだまだ強かったのです。

 

小説が、人々を空想の世界に入り浸らせる有害な書物なのだという考え方があったためです。

 

18世紀の偉大なイギリス女流作家、ジェイン・オースティンは、

小説『ノーサンガー・アビー』にて、

当時の小説に対する風当たりの強さをこう嘆いていました。

 

「私たち小説家は、虐げられた者たちなのだから、お互いに仲間を見捨てないようにしようではないか。

……私たちはこういう言葉をよく耳にする。

「私は小説など読みません――小説はめったに開きません――私がしょっちゅう小説を読むなんて思わないでくださいねー―小説にしてはよくできていますね」などなど。

あるいはこういう会話をよく耳にする。

「ミス・××、何を読んでいらっしゃるの?」と聞かれ、「あら! ただの小説よ!」と若い女性は答え、関心なさそうに、恥ずかしそうに本を閉じる。

……ところで、もしその若い女性が、小説ではなく『スペクテイター誌』を読んでいたら、誇らしげに本を差し出して題名を言ったことだろう」

 

オースティンの言葉から、当時の18世紀後半のイギリスでは、

小説を読む=恥ずかしい

という世間体の存在を生々しく知ることができます。

 

日本でも同じだったようです。

当時の教養人たちが、

小説ばかり読む「今どきの若者」を憂いていたという話を耳にしたことがあります。

 

しかしいまではどうでしょう?

小説を読んでいて

「頭が悪くなるからやめなさい!」

とは誰も言いませんよね。

 

 

音楽だってそうです。

20世紀のベンチマークは、なんといってもロックミュージック

そしてロックといえば、ビートルズ

チャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーの血を受け継ぎ、

ロックの確固たる地位を築いた貢献者たちです。

 

しかし当時、ビートルズは評論家に

「聴くに耐えずその必要もない音楽と称する代物」

とまで酷評されていました。

 

ヨーロッパでは、古くから【インテリ文化】が盛んであり、音楽ではクラシックこそが唯一の芸術であると考えられていました。

ポップスも社会的地位は低かったのですが、それでもまだ、「ロックよりはずっとマシ」と言われていました。

 

しかしいまでは……(以下略)。

 

 

いかがでしょうか?

 

当たり前でなかったものが、当たり前になっていく。

この予期できない世の動き自体が、

一種のアトラクションであると言えます。

 

自分の認められない、理解できない物事は、やはりあると思います。

往々にして文化とはそういうものです。

 

認める人がいて、認めない人がいる。

それが文化なのです。

 

しかしそれでも、

マイノリティの文化がマジョリティと化していく過程は誰にも止められません。

かつて小説やロックミュージックが大衆化していくように……。

 

いま、【You Tuber】に憧れる子供たちが多いという話をよく耳にしますよね。

私見では、

これはやがて【You Tuber】が職業として普通になっていく兆候にほかならないと考えています。

 

それはもはや、

「ものわかりのいい大人たち」

ではどうすることもできない大きな流れなのかもしれません。

 

もちろん、なんでも流行に迎合することが正しい態度だとは言いませんが、

否定する前提の思考では、いっこうに新しい知見を得ることはできません。

 

ありのまま受け容れる、というのはなかなか難しいとは思います。

しかし、

自分の正しいと信じている価値観ほど、あてにならないものはありません。

 

それはやはり、文化の歴史が証明しています。

 

既存の価値観に拘泥していると、

柔軟さを失い、

やがて硬化し、

【偏見】という【思考のガン】

を生み出してしまいます。

 

それだけは避けたいものです。

 

そのためには、

やはり歴史に学ばなければならないでしょう。

 

歴史はたんに、テクストを読み込みこんで事実を知るだけではありません。

その先にある、

歴史を自分自身に落とし込んで省察する

という知的な行為があってはじめて、

「歴史に学ぶ」

ことができるのです。

 

 

 

わたしは昔、イギリスの文化史を研究していたことがあります。以来、文化史の面白さにすっかりハマってしまいました。

当時の人々の暮らしや価値観に思いを馳せるだけでも興奮しますよ。

上記にあげた『生き甲斐の社会史』(キース・トマス)や『再生産の歴史人類学』(アラン・マクファーレン)には大変お世話になりました。

どちらもなかなかの読み応えです。興味があればぜひ!

 

 

 



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ABOUTこの記事をかいた人

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石山 広尚(いしやま ひろなお) 1991年うまれ。 札幌在住のライター。 一時期は社会学の研究者を志していたが、ひょんなことから友人と同人誌をつくることになり、それがきっかけで「創作」の世界にどっぷりハマる。小説サークルを主宰し、「批評」の重要性を痛感する。 ・大学院時代の専門:思想史と社会学 ・好きな作家:H.G.ウェルズ、オー・ヘンリー、ポール・ギャリコ、スティーブン・キング ・好きな映画:ゴッドファーザー、第三の男、ターミネーター2